聞こえてきたその一言に、ミカエラは思わず振り返る。瞬間、声の主である彼としっかり目が合った。
彼女の後ろで、一年ぶりに咲き誇った桜の木が枝を揺らしてさわさわと音を立てている。雲量三の空の下、声の主こと勇者フェルナンド13世は眼前の仲間に微笑みかけた。
風に踊る花びらが目の前の世界に彩りを添える。春らしい色合いの服――真新しくて見慣れないそれは、恐らくおろしたての物なのだろう――に身を包んだ彼女の姿は、その光景にとてもよく馴染んでいた。
「……ねえ、フェル」
しばしの沈黙を破り、ミカエラが口を開いた。
「今のは、どっちに言ったの?」
視線を絡めたまま、悪戯っぽく問いかける。その澄ました笑みの裏で、彼女はどんな返答を求めているのだろうか。
少しだけ考えあぐねた後、彼は目線をそっと逸らして素知らぬような素振りで答える。
「……桜の方、かな」
彼女は「そっか」と一言、涼しげな笑顔を崩さぬまま呟く。それきり、彼女は彼に背を向けて黙り込んでしまった。
短くて長い静寂が続く。耳に届くのは風の音ばかりだ。
彼の予想――「期待」と言ってもいいかもしれない――とは裏腹に、彼女の反応は至って淡泊なものだった。呆れ半分の苦笑を浮かべながら、
それかわざとらしく拗ねてみせながら「どういう意味?」とでも言ってくるのではないかと思っていた彼だが、どうやらその当ては外れたらしい。
彼女は桜の木を見上げたまま振り返ろうともしない。今の彼から見えるのは、彼女の髪が花びらと共に風に揺られる様だけだった。
意地の悪い事を言った自覚は彼にもあった。彼としてはほんの軽口か冗談のつもりだったのだが、彼女はそうは思わなかったのかもしれない。……だとしたら、本当に怒らせて(或いは悲しませて)しまったとしても無理はない。
彼女の後ろ姿を眺めながら、彼は己の素直さに欠けた言動を省みる。……一度言った事を完全にリセットする事は出来ない。だからこそ、せめて齟齬や誤解くらいは解消しておくべきだろう。
そして彼は一言だけ、背中越しに告げた。
「――嘘だよ」
その言葉に、彼女は今度こそ振り向いた。
呆気とした様子の彼女を前に、彼は柔らかく笑ってみせる。彼が口にしたのはたったの一言だったが、彼女に本心を伝えるにはそれだけで充分だった。
「……そっか」
驚きが微笑へと変わる様は、例えるのなら花が咲いていくようだった。
先程よりもいくらか声色が明るく聞こえたのは恐らく気のせいではない。その事を裏付けるように、彼女の頬には淡い桜色が差していく。
機嫌を直した様子の彼女を見て、彼はひとまず安堵した。
暖かい春風が頬を撫でて通り過ぎていく。傍らで、桜の花びらが優しく吹き上がっていた。
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