地面を覆う雪が陽光を反射して白く輝いている。そんな晴れた冬の朝の事だった。
朝の日差しで目を覚ました少年は、その眩しさと暖かさに心を躍らせた。
「どうした? 妙に楽しそうだな」
そんな彼の背後から、もう一人の少年が声をかける。
「だって見てよ、ルト! 最近こんな風にカラッと晴れた事って無かったよね?」
「そういえばそうかもな」
そう言うと、ルトも窓の側へ歩み寄って外を眺め始める。確かに、ここ数日間はずっと雪、良くても曇りの日が続いてばかりだった……彼は密かに思い起こした。
「おはよっ。二人とも何してんの、そんな所で」
「あ、ミト。ほら見て、凄く良い天気だよね」
後ろから聞こえた少女の声に、ポトは先程同様の明朗な返事をする。彼女もやはり窓の外を見ると「ほんとだ、何だか久しぶり」と表情を明るくした。
「ねぇ、久々に外で遊んでこない? まだ雪が残ってる内にさ」
窓の外に広がる雪野原を指し、ポトが嬉々として提案する。この状況下から見ると、必然とも言える話である。ルトの方も「良いかもしれないな」と、まんざらでもない様子だ。
後はミトがどうするかだ……二人は彼女の方へ視線を移して返事を待つ。
「うーん……私は家で待ってよっかな」
ミトの意外な返事にポトとルトは少々驚いたようだった――彼女も喜んで一緒に来てくれると思っていただけに。
「えっ……ミト、行かないの?」
「うん、まあ……今日は寒いしね。また機会があったら行こうと思うけどさ」
ミトはさらりとそう答える。ポトとルトは少しの間彼女の方を見ていた――かたや解りやすく、かたや密かに残念そうな顔をしながら。
「私は今度でいいよ。二人で行ってきなよ、折角の外遊び日和なんだから」
ポトとルトは僅かに首を傾げていたが、程なくしてポトが口を開く。
「それじゃ、ちょっと行ってこようかな」
「ん、解った。行ってらっしゃい」
二人は笑顔のミトに向けて頷くと、コートを羽織って手袋をして玄関へと向かう。外に出た彼らにミトが「風邪ひかないようにね」と声をかけると、彼らは手を振ってそれに答えた。
「……よし、と」
二人の姿が完全に見えなくなった後、ミトは大きく一つ息をつく。
「ちょうど良かったかもね。とりあえず、ちゃっちゃと終わらせて行きますか」
それだけ言うと彼女はくるりと振り返り、後ろ手でドアを閉めて家の中へと戻っていった。
*****
白一色の景色の中、ポトとルトは一緒になって雪玉を転がしていた。
「雪だるま作りなんて相当久々だな……もう『久々』を通り越して『懐かしい』の域だ」
「そうだね。何年前だったかな、最後に作ったのって」
こういう作業をしていると、自然と思い出話にも花が咲いてくる。当然の話だが、まだそれほど多くの年を生きた訳ではない彼らとて、振り返る過去はたくさんあるのだ。
彼らは何か話しながら歩いたり、時々立ち止まったりしながら雪玉を充分な大きさにしていく。
「こっちはこのくらいでいいよね。……よし、それじゃ頭の部分作ってくる! こっちの雪玉は任せるね」
「わかった」
ある程度の大きさになった雪玉をルトに預け、ポトは新たにもう一つを作り始めた。
手際よく雪玉を作り上げていくポトを見送ると、ルトは大きく伸びをして辺りを見回す。もう雪玉はある程度の大きさになっている。そこまで力を入れる事もないだろう……彼はそう考えていた。
「……まあ、とりあえず待つとするか……」
――ポトだって、これに合わせたサイズの雪玉を作ってくるはずだ。あとはあいつに任せておこう。
少しだけ雪玉を押して歩き、大きさを確認する。そうして彼はその横に腰を下ろし、ポトの帰りを待つことにした。
「ルト、お待たせっ! ほら、作ってきたよ!」
「お、来たか。そっちはどんな感じに……」
ポトは転がしてきた雪玉を意気揚々とルトに見せた。それを見たルトは呆気として沈黙する。そこにあったのは、胴体になるはずの部分より一回りも二回りも大きな雪の塊だった。
「……少しは大きさのバランス考えろよ」
「あはは、まあ細かい事は気にしない! それならそっちを頭にすれば大丈夫だよ」
ルトの冷静な、そして至極真っ当な突っ込みをポトは軽くかわす。当初の予定を至って自然に覆すポトに、ルトは思わず笑ってしまいそうになった。年齢はさして変わらないはずなのだが、ルトの目にはポトの少年らしさがどこか微笑ましく映るようだ。
「よし、出来たっ!」
完成した雪だるまを見て、ポトは満足そうな歓声をあげた。
それは雪玉二つを重ね合わせ、木の枝や石などで飾り付けただけの簡単なものだ。だが、その大きさや完成度は彼らに達成感を与えるのには充分だった。
「なかなか頑張ったな」
「うん。頑張りすぎてちょっと疲れちゃったよ」
ルトとポトはその場に座り込み、晴れ晴れとした表情で空を見上げた。
こんなに青く、広い空を見たのも久しぶりな気がする……何とも言えない開放感と清涼感に、彼らは肩の力を抜いた。
それと同時に少々気も緩んでいたのか、彼らは後から自分たちを追ってきた人影には気が付かなかったようだった。
「さて、と……」
ほどなくして二人は立ち上がり、腕や肩、脚に付いた雪を払い落とした。
ポトがルトの方へ向き直ると、ルトもまたポトの方へと視線を移す。そうしてポトは口を開いた、のだが――
「これからどうする? まだ何かしていこうか、それとも――」
「えいっ!」
彼の声に被せるようにして、背後から鋭い声が響いた。一瞬、ポトとルトは反射的に動きを止める。
「うわっ!」
「!?」
直後、ポトとルトは後頭部に何かの衝撃を受けてよろめいた。そのまま前のめりに倒れたポト、どうにか踏みとどまったルト……二人は同時に後ろを振り返る。
そこにいたのは、楽しそうに手を叩いて喜んでいるミトだった。
「当ったり〜! やったやった、大成功っ!」
坂の上から彼女の笑い声が届いてくる。ポトは半分雪に埋まった状態でそれを聞いていた。
あの時感じた冷たさ、そして彼女のこの反応……彼らにぶつかったのは彼女が投げた雪玉で間違いないだろう。
「……ミト〜……」
ポトは手をわなわなと震わせて立ち上がり、ミトの方を睨み付けた。彼が立ち上がった後の地面には、見事なまでにくっきりと人の形の跡が残っている。
「よくもやったなぁーっ! お返しだ、これでもくらえっ!」
そう叫ぶやいなや、彼は彼女へ向けて雪玉を作っては投げ、投げては作っていく。彼の意思に沿ってか沿わずか、雪合戦が始まったようだ。
しかし、雪玉の大半は彼女まで届かずに地面に落ちていってしまった――彼と彼女が立つ位置の高低差を考えれば当然の結果だ。僅かに数個だけ彼女に届きかけたものもあったが、彼女はそれも全てあっさりとかわし切ってみせた。
「あははっ、当たりませんよーだっ! それじゃまた後でね、バイバーイ!」
からかうようにそう言い残すと、彼女はひらりと身を翻してその場を後にしていった。
ミトが去っていった後、ポトは彼女が立っていた場所を不満顔で見つめていた。
「む〜……何か悔しいなぁ……」
「無理もないさ……ここから向こうへは届かないだろう、流石に」
内心、それはポトも最初から理解していたのだろう――そう思いつつも、ルトは敢えて真面目に答える。……どちらにしても、ポトにとっては少々気が晴れない出来事であったのだろうが。
「……ん?」
その後、ルトは何かに気が付いたようにポトの横を通り過ぎていった。
「? どうしたの?」
ポトがそう尋ねたが、ルトはそれには答えずに雪の中に手を伸ばす。それを見たポトもようやく気が付いた――真っ白な雪の塊から、赤い紐のようなものがはみ出ていることに。
ルトは無言でそれを拾い上げ、周りに付いている雪を払い落とす。そこから現れたのは小さな、小さな箱だった。手のひらサイズながらも綺麗に包装されており、しっかりとリボンまでかけられている。先程雪の中に見えた赤いものは、おそらくこのリボンの端っこだろう。
「……。おい、ポト……」
ルトに促されるより先か同時か、ポトも先程雪玉が飛んできた位置まで駆けだしていく。そこにはまだ少し雪玉の原形をとどめているものが残っていた。
ポトがそれをそっと崩していくと、中からはやはりミニサイズの箱が出てきた。ルトが持っているものと同様に、こちらもきちんと装飾がなされている。よく見ると、二人の持つ箱は互いに色違いになっているようだ。
「これは……? さっきミトが持ってきたのかなぁ」
「だろうな」
しばらくは黙って箱を見つめていた彼らだったが、やがて二人揃って箱のリボンをほどき始めた。
ほどいたリボンをポケットにしまい、丁寧に包装を解いていく。程なくして、真っ白な箱がむき出しの状態になった。彼らはそっとそれを開封する。
出てきたのは、一口サイズのチョコレートだった。その一欠片のチョコは可愛らしいハート形をしている。彼女が一度溶かした後で、型に入れて固めたのだろう。
それを見たポトとルトはただただ目を丸くするばかりだった。
「……チョコレート?」
ポトがぽつりと呟く。ルトはそれを受けて何かを思い出したようだ。
「そうか……。今日は二月十四日だったな」
その言葉を聞いてようやく気が付いたらしく、ポトもまたはっとしたように声を上げた。
「バレンタインデーか! そういえばそうだったっけ……すっかり忘れてた」
「安心しろ、俺もだ」
彼らはここで合点がいった。ミトが一人で家に残っていたのは、こっそりとチョコを用意するため。そして、わざわざ途中で少しだけ顔を出して去っていったのは彼女なりのやり方でそれを渡しに来るため……。何とも回りくどいその渡し方はある種の照れ隠しなのか、それともただの悪ふざけなのか……それは彼女本人にしか解らないが。
事実を理解したポトとルトは『一本取られた』といった表情で天を仰いだ。
「嬉しいんだけど、余計に悔しくもなってきたよ……やられたなぁ、これは」
「完全にミトの思惑通りだな」
そう言って、二人は互いに顔を見合わせて笑った。
「……さて、それじゃそろそろ帰ろうか。これ、家でゆっくり食べよ」
「そうだな」
近くの木からバサバサと雪が落ちる。それとほぼ同時に、彼らは揃って駆け出した。
――帰ったら、一応ミトにお礼を言っておかないと。
――そうそう、お返しはどうしようか……。一応考えておかないと。
真っ白な世界を駆け抜ける二人の頭に、時折そんな事がちらほらと浮かんでくる。雪に足をとられそうになりつつも、彼らはただただ楽しそうに走り続けていった。
*****
「あーあ、おかしかったぁ。もっと遊んでやりたかったなぁ」
愉快そうに笑いながら、ミトは家に向かって一人歩いていた。あの時のポトとルトの驚いた顔といったら……思い出しただけで笑いが込み上げてくる。
ちょうど『二人が先程どうしたか』を考えた所で、彼女はふと『彼らが今どうしているか』という事も気にかけてみた。
――二人はまだ寒空の下を駆け回っているのだろうか?
それを思うと、少しくらいは彼らに気を遣ってあげようという気分になってくる。
「……そうだ、ホットミルクでも作って待っててあげよう」
彼女は『我ながら良い考えだ』とでも言わんばかりの満足げな表情を浮かべる。
そうと決めたら、二人が帰ってくるより先に準備をしておきたい所だ。
「よーし、ちょっと急ごう! 二人より先に帰らなきゃ!」
ミトは少しずつ歩調を早め、駆け足で家路を急いでいく。一歩、また一歩と彼女が走る度、まだ真新しい雪に一筋分の足跡が刻まれていった。
数刻後――家のドアをくぐる人影が二つ、それを出迎える人影が一つ。合計三つの人影が、一堂に会して笑い合っていた。
それは冬の寒さにも引けを取らないような、どこか暖かい一日だった。
*************************