ちらほらと降り始めた雪が世界を覆っていく。日が暮れ始めているその頃、フェルナンドとミカエラは寒空の下を二人歩いていた。
彼らはちょうど旅からの帰路についた所だった。戻るにはまだ早い時間ではあるが、昼から現在にかけての冷え込みが激しいため、一度帰る事を決めたようだ。
木々の間の小道を抜け、街中を経由して村へと帰っていく。彼らの通り慣れた道のうちの一つだ。
「あ、見て。ほら、すぐそこ……明かりが見える」
ミカエラが前方に見える光を指さし、表情を明るくしてフェルナンドに言った。
「ホントだ……もう結構近くまで戻って来てたんだね、僕たち」
彼はしみじみとそう口にする。あちこちを散策してきた後には、見慣れた景色も懐かしく感じるようだ。
「……とにかく、まずはそこまで歩こうか」
「そうだね。私もそろそろ暖かい所に行きたいし」
そう決めると彼らは少し歩調を早め、すぐ近くの明かりを目指して一直線に歩いていった。
*****
それから十数分と経たない内に、彼らは大きな街の中心部へと辿り着いた。そこは普段からよく訪れている場所だが、今回はいつもと様子が違うようだ。
「わぁ……っ! どうしたんだろう、今日は何だか賑やかだね」
街中に着くやいなや、ミカエラは開口一番にそう言った。
綺麗な装飾やイルミネーションに街全体が彩られ、売り出しを始めた店がずらりと建ち並んでいる。出店の数も大きく増えており、見所は数多くあるだろう。
その光景に瞳を輝かせている彼女の姿を見た時から、フェルナンドには何となく次の展開が解っていた。
「私、ちょっとお店とか見てみたいな……。行ってきてもいい?」
予想通り、彼女はいても立ってもいられない様子で彼に尋ねる。
時間になら余裕はあった。他の問題も別段無かったため、彼もそれを承諾した。
「わかった。それじゃ、少しの間別々に行動しようか」
彼はこれから一時間ほど時間を取り、後でまたここで待ち合わせる事を提案した。彼女もまたその申し出に賛成し、二人の意見はまとまった。
「それじゃ、行ってくるね! また後でね、フェルナンド!」
やや早口でそう言うと、彼女はすぐに飛び出していった。心なしか、その足取りはとても軽い。よほど楽しみだったのだろう、長旅の疲れもすっかり消えてしまったようだ。
彼は、彼女を見失う前に「気をつけてね」と一声かけて手を振った。
彼女の姿が見えなくなった後、彼はひとり静かに空を仰いだ。
「さて……僕はどうしようかなぁ」
初めのうちはただその場で辺りを見回していた彼だが、五分としない内に暇を持て余し始めたらしい。
――僕もどこかに行ってみようかな。
心の中でそう呟くと、彼もまた人混みの中をゆっくりと歩き始めた。
街中の様子を横目に見ながら、彼は一人歩き続けていた。そこは人や店が溢れ、いつもに増して活気溢れた場所となっている。
楽しげに店を見て回る家族、親しい友人同士と思われる集団、並んで歩く男女……どこを見ても、道行く人々の明るい表情が目に入る。何とも心温まる光景だった。
そんな中をあても無くふらついていた彼の目に、ショーウィンドウに飾られたある商品が映った。彼は足を止め、それをまじまじと眺め始める。
少し後に彼が視線を下に落とすと、その商品の値札が置いてあるのが見えた。そこに書かれた値段の桁数を数え、彼は一瞬目を見張る。
……高い。普段の買い物とは一桁も二桁も違う――かなり上質の品だ。
彼はしばらくの間どうするべきかと迷っていたが、遂に心を決めた。
――確かに高価な商品ではあるが、決して買えない値段ではない。長旅で気疲れもしている所だ。たまにはこのくらいの贅沢は許されるだろう。
彼は自分で自分を納得させると、店に入って店員に声をかけた。
「すみません、これ下さい」
*****
ミカエラが時間ちょうどに戻ってきた時、待ち合わせ場所には既にフェルナンドの姿があった。
「あ、フェルナンド! ごめんね、待ったんじゃない?」
「いや、全然。気にする事無いよ」
彼は敢えて「楽しんできた?」という事は訊かなかった。買った物こそ何一つ持っていなかったものの、その満足そうな表情を見ればすぐに解る。
――その一方で、自分はというと……?
さり気なく後ろ手に持っているものをちらりと見て、彼は密かにひとつ深呼吸をした。
彼は彼女の方を見ながら機会を窺っていたが、やがて意を決したように口を開いた。
「ミカエラ、ちょっと手出して」
「? ……これでいい?」
彼女は一瞬困惑するも、言われた通りに手を前に差し出す。
「はい。……これ、プレゼント」
差し出された手の上にプレゼントボックスを載せ、彼は屈託なく笑う。
「えっ……?」
「ほら、その……今までプレゼントらしいプレゼントってあげた事無かったしさ。店先で見かけて、これはきっとミカエラに良いって思ったんだ……直感的に、だけど」
緊張のためか照れ隠しなのか、今の彼は心なしか普段より饒舌になっている。
彼女はしばらくの間何も言わずに、手の中の小さな箱と彼の顔とを交互に眺めていた。
「……嬉しい。これ、私のために?」
ミカエラは表情を輝かせ、今度は彼の方のみを見つめて言う。彼女のその様子に、フェルナンドもまた喜びをはっきりと顔に表した。
「うん。……あ、いや……」
一度は彼女の言葉を肯定した彼だったが、少し考えた後でそれを訂正する。
「……それだけじゃ、ない……かな」
妙に含みをもったその言葉に、ミカエラはただ訳もわからずきょとんとするばかりだった。
「じゃあ、どうして?」
「そ、それは……、……えっと……」
当然、彼女の口からは自然と問いかけの言葉がこぼれる。
彼は少し口ごもりながら、ためらいがちに続けた。
「突き詰めれば、僕自身のためでもあったのかも……君の喜ぶ顔が、見たかったから」
言い終わってから恥ずかしくなったのか、彼はすぐに顔を真っ赤にして視線を落とした。一方のミカエラも、彼と同様に頬を紅く染めている。
「も、もう……口が上手いんだから」
彼女は口早に、もはや考える余裕も無いといった様子で言い捨てた。
焦っていたからか照れていたからか、二人はしばらく互いに無言のまま視線を逸らしていた。
「……これ、開けてみてもいい?」
「うん、もちろん」
しばらく後に彼女が遠慮がちに尋ねた。顔は伏せ気味なままだが、目線は彼の顔を見上げている。彼もそれを快諾し、早速そのプレゼントボックスの包装が解かれ始める。
程なくして、彼女は箱を開けて中身をそっと手に取った。
「わぁ……」
それを目にしたミカエラは思わず感嘆のため息をこぼす。
彼女が手にしているのは首飾りだった。革製のひもに金具と宝石が付いている以外は何も無く、作りはとてもシンプルなものだ。しかし、その革の質の良さや飾り宝石の秘める魔力は彼女の心を釘付けにするのに充分だった。
「凄く綺麗……。でも、私に似合うかな」
「きっと似合うと思うよ。実際に着けてみたらどう?」
「……わかった。そうしてみる」
フェルナンドに促され、彼女はそれを身に着けようと試みた……が、なかなか思う通りにはいかないようだ。
「んっ……。あ、あれっ……上手くいかない……」
もともと首の後ろ側という自分からは見えない位置での作業である事と、この寒さで手がかじかんで細かい作業が上手く出来ない事が大きな原因だろう。
困った顔をする彼女を見て、彼はそっと手を差しのべた。
「貸して。僕が着けてあげる」
「う、うん……お願い」
彼女はフェルナンドに首飾りを手渡し、一歩彼の方へと歩み寄る。彼もまた、両手にそれぞれ首飾りの両端を持って彼女の目の前へと進み出た。
「ちょっとそのまま待ってて。……よっ、と……」
そう言うと彼は真正面から彼女の首の後ろへ手を回し、横から手元を見ながら金具を留めた。
「……出来た。ほら、やっぱりよく似合ってる」
「本当? ……良かった」
「こっちこそ……気に入ってくれたみたいで良かったよ」
それから二人は一端会話を打ち切り、揃って俯いた。……何となく気恥ずかしくて、彼らにはお互いに何を言っていいのかが解らなかった。
しばらくして彼女がおずおずと彼に視線を向けると、彼も少し遅れて彼女の方へ目をやった。
「……フェルナンド、ありがとう」
「どういたしまして」
「これ、大切にするね。これからずっと身につけておく事にする」
ミカエラは嬉しさいっぱいにそう告げる。フェルナンドもまた、無邪気に喜ぶ彼女の姿を幸せそうに見つめ続けていた。
少しの沈黙。その後には、思わず微笑みがこぼれる。
「……帰ろうか」
「……うん」
フェルナンドは隣にいるミカエラの手をそっと握りしめる。
彼らは静かに前に向き直り、手を取り合って一緒に歩き始めた。純白に覆われた地面に二人分の足跡を刻みながら――。
降りしきる雪が街灯に照らされ、強く優しく輝いている。それはまるで、空から無数の光の粒が舞い降りてきたかのようだった。
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