「……はぁ……」
溜息が、冷えた空気へ白く溶けていく。晴天の下、雪の残る街路を歩きながら、ミカエラは一人思い悩んでいた。勇んで街へ繰り出したものの、本当にこれで良いのだろうかと依然二の足を踏んでしまう。
というのも、今や世界的に広まった今日この日のイベントの事だ。主に女性から男性へ、チョコレートを始めとした菓子類などを贈り、思いの丈を伝える日。いつも世話になっていることへの感謝からもっと深い懇意を込めた思いまで、その内容は十人十色に様々だ。
数刻前の事。彼女は仲間であるフェルナンドと共に、時に道なき道を拓きながら、前の街からかなりの時間を要してこの街まで辿りついた。ひとまず宿に腰を落ち着け、いつでも休息を取れるよう準備を整えたのがちょうど昼頃。あとは、夜までゆっくりと時間を潰すのみとなった。
そこで彼女は、いざ贈り物探しに臨むべく奮起する。
「ちょっと近くのお店とか見てきたいな、って……行ってきても、いい?」
ミカエラの希望に対し、フェルナンドは他意無く申し出る。
「買い物かい? それなら、僕も一緒に――」
必要な物を一緒に買い足す時だけでなく、彼女の個人的な買い物の際も、彼は文句も言わず側で待っているものだった。むしろこうして自ら進んでついて行っては、帰路では雑談を交わしながらさりげなく荷物を持ってやるのが彼という人物だ。
「い、いいの! 今回は、一人で行ってくるから……!」
普段は有難くそれに甘えるミカエラだったが、今回は少々訳が違う。彼との買い出しはとても楽しく魅力的ではあるが、そこはぐっと抑えて固辞するより他は無かった。
彼もまた、特に深追いすることもなく了承する。
「わかった。それじゃ、しばらく自由行動にしよう。夜までにはここに戻る、くらいの時間で大丈夫かな?」
「うん。……じゃ、ちょっと行ってくるね」
フェルナンドの出した提案に同意し、ミカエラはそそくさと外出していった。それを見送る彼の視線は、しばしの間、彼女が出て行ったドアへと向けられていた。
そうして現在に至る、という筋書きだ。
思い切ってここまで出てきたはいいが、周囲の賑わいを見るにつけ、ミカエラは自分の存在がとても場違いなように思えてしまってならなかった。そもそも自分はあくまで戦力として彼についているのであり、そんな身でこういったイベントに乗せられるような真似をするのはただ軽々しいだけではないのか、と。
しかし、と彼女は考える。逆に、今このイベントを逃したら、次はいつこんな風に想いを伝えられる日が来るのだろうか。こんな絶好の大義名分が立つ日でさえ躊躇いが先に来るのなら、今後そのチャンスをものにできる見込みはおそらくほぼ無いと言ってもいいだろう。結局は、こうした機会に便乗するのが最適解なのかもしれない。
――ただ、肩の力を抜いて、『感謝』を伝えればいいだけだ。そう、それなら、何も気負う必要は無いじゃないか。
彼女は意を決して店の扉を開く。そこはまるで異世界のようだった。
「いらっしゃいませ!」
通りのよい声に迎えられ、眼前に広がった世界を眺める。所狭しと陳列されたたくさんのお菓子と、それを求めて訪れたたくさんの女性たち。その表情はいずれも、親しい相手への思いに色めき華やいでいるようだった。
余りにも華々しいその雰囲気に圧倒されつつも、ミカエラは目に付いた品を手に会計へ向かう。
「こ、これを……プレゼント用の、ちょっと豪華な包装でお願いします……」
「ありがとうございました!」
朗らかな声と満面の笑顔を背に、ミカエラは店を後にした。
帰路の途中で、彼女は改めて自分が購入した品を眺める。可愛らしく包装されたその箱の中身は、大きめなハート型のチョコレートだ。
「……た、たまたまこれしか無かったから。別に深い意味なんて……」
誰にともなく呟くミカエラ。――実際のところは実に豊富な種類の品が並んでいたはずだが、それは彼女の中では見なかったことになっているようだ。
――そんなに期待されてもいないだろうけれど。……少しは、喜んでくれるだろうか?
彼の反応を思い描くと、混ざり合う期待と不安に胸の鼓動が抑えきれなくなりそうだった。買ったばかりのプレゼントをしまうのも忘れ、両手で大事そうに抱きしめる。はやる気持ちを持て余しながら、ミカエラは帰りの足を速めた。
***
手持ち無沙汰なフェルナンドは、ミカエラとはまた別口で出掛け、市場の露店を散策していた。食品や薬品、装飾品、その他道具の類など売り物も多様で飽きが来ない。物資の調達を兼ねた時間潰しにはもってこいの場だった。
――こんな感じのアクセサリーなどは好みに合うだろうか。
――この薬草の山を見れば、また新しい薬が作れると大喜びで何種も買っていくんだろうな。
いつもなら隣にいるはずの人物を思い浮かべ、彼は少しばかり表情を緩める。
ちょうどその時のことだった。
「……あ、あのっ」
「ん?」
ふと、後ろから女性の声に呼び止められたような気がした。フェルナンドは聞き慣れないその呼び声に振り返る。目の前にいたのは、大人しい雰囲気の少女。やはり、見覚えはなさげな人物だった。
「えっと……すみません、どこかでお会いしたでしょうか?」
もしも見知った相手だったなら失礼に当たる。彼は内心冷や汗をかく思いで彼女に問うた。
「その……先日、東の森の魔物退治の依頼を受けてくださった方……ですよね?」
少女がおずおずとそれに答えた。
東の森。魔物退治。依頼。鍵となる単語が彼の脳裏で一つに繋がり、記憶が鮮明に色付いていく。
「――ああ! あの時の……」
確かに、その依頼には覚えがあった。冒険者の集会場経由で引き受けたもので、依頼者と直接顔を合わせることは無かったため、彼女の姿を見ただけでは解らなかったが。
「依頼を出したのは、私の父なのですが……。あの森はお店の仕入れの経路とも被っていて、困っていたんです。その節はありがとうございました」
どうやら彼女は近隣の村の道具屋の娘のようだ。魔物を恐れてはいても生活のためにはある程度付近を通らざるを得ないだろうし、依頼を受けた彼の姿をその際に見かけていても不思議はない。その直後に依頼が達成されたとの知らせが来れば、誰がそれを為したのかは自ずと見えてくる……それが今に至るまでの顛末だろう。
「助けになれたのなら何よりです」
その感謝を素直に受け止め、フェルナンドは笑顔を見せた。
「……それで、あの……」
「何でしょう?」
少女は他にも何か用件がある素振りで言葉を続ける。内容を問う彼に、彼女は綺麗に包装された包みを差し出した。
「その……こ、これを……受け取って頂けませんか?」
「……えっ。えぇっ!?」
突然の出来事にフェルナンドは大いに狼狽える。微かに頬を朱に染める少女の姿がさらに彼の焦りを煽った。
依頼達成の対価として、既に相応の謝礼はギルド経由で受け取っている。それに加えて、個人的な贈り物まで。これに近い出来事も今まで全く無かった訳ではない。とはいえ、今回の件はまた違った意味合いも含むかもしれない――どう対応するのが正解か、彼は大いに図りかねていた。
「……えっと……」
答えは未だ出ない。それでも、どうにか言葉を紡ごうとフェルナンドは頭の中で試行錯誤する。
同時刻、物陰で踵を返していった影の存在に、彼は気が付いていなかった。
***
人の多い通りを避け、ミカエラは路地裏をひた走る。こんな時に限ってこんな場面に居合わせてしまう自分の不運が呪わしかった。
フェルナンドと、彼に贈り物を渡そうとする女性の姿。ただそれだけの場面だが、それを見て、何故か咄嗟に駆け出してしまった。彼と合流しようとした際に偶然その光景に出くわしただけで、詳しい状況はわからない。しかし、どうにも胸のざわめきが収まらず、ただただその場から逃げ出したくなったのだ。何故、今更になってこんな思いを抱いてしまったのだろう――彼女は言いようの無い焦燥感に捕らわれていた。
彼はとても優しいし、頼りになるし、こう言っては何だが顔立ちだって整っていて、何よりも一国の王子様であり皆の希望を背負う勇者様なのだ。確かにこう羅列してみると他人から、こと女性から慕われないと思うほうが短慮というものだ。盲点というべきか、普段はそこまで意識が回らなかったのだろう。いつも彼のそば近くにいたがゆえの慢心も少なからずあったのかもしれない。
それでも、落ち着いて現実を見なければ。落ち着いて、現実を――
動揺のあまり、注意力が散漫になっていたのだろう。
「きゃっ――!」
彼女は走っていた足をもつらせ、前のめりに地面へと倒れ込む。
――ぐしゃり、と、腕の中の「想い」が潰れる音がした。