夕刻頃、フェルナンドが宿に帰りついた時、宿の部屋には既にミカエラの姿があった。
「戻ってたんだね、ミカエラ」
 そう一言声をかけ、彼はベッドを椅子代わりにした彼女の隣に腰掛ける。
「ところで、今日はどこに行ってたの? ……あ、いや、深い意味は無いんだけど、その……何か買ってきたとか……」
 そわそわと落ち着きのない様子で、フェルナンドは隣のミカエラに尋ねる。
 その際、ちらりとミカエラの方を見遣ったところで、彼はようやく彼女の様子が若干おかしいことに気が付いた。
「……ミカエラ?」
 呼びかけに応じて一瞬だけ視線をこちらに向けたきり、彼女は物も言わずに俯いている。表情はよく見えずとも、それが明るいものではないことは明らかだった。
「何かあった? 僕に出来ることがあるなら何でも……」
 真剣な面持ちで言うフェルナンドに、ミカエラはしばし悩んだ後、おもむろに「ある物」を取り出してみせる。
 彼女の荷物袋から出てきたのは、凝った包装の箱――が、無残に潰れてしまった物だった。
「……これ、は……」
 フェルナンドはなんと声をかけるべきか考えあぐね、言葉を詰まらせる。彼女が買ったものなのか貰ったものなのかはわからないが、見たところ、かなり上等そうな品であるのが伺える。それが何らかの事故でこうなってしまったのは気の毒としか言い様が無い。とはいえ、それをそのまま伝えるのもどこか心情的に憚られるものがあった。
「あなたへのプレゼントにと思っていたのに……」
「――――へ?」
 彼にとっては思いがけない言葉だったのだろう――消沈したミカエラが零すのを聞いて、フェルナンドの口から若干間の抜けた声が漏れた。
「それが、こんな有り様で――」
「じゃあ、僕が貰ってもいいの?」
「……って、あの……えっ?」
 今度はミカエラの方が驚く番だった。言葉の内容もさることながら、彼の声色が急速に明るくなったことにも彼女は面食らっていた。
「……こ、こんな風になっちゃったけど……。それでも良ければ……」
「ありがとう、ミカエラ!」
 ――即答もいいところであった。この時の彼の表情はこの上ないほどに輝いていた。
 何事かあった様子のミカエラの姿に、チョコレート云々で浮かれている場合ではなかったかと焦り反省したフェルナンドだったが、それも杞憂であったようだ。むしろ、これで全てが丸く収まったとも言える。彼女の抱えた憂鬱の元は無くなり、彼は念願叶って彼女からの贈り物を受け取ることができた。まさに願ったり叶ったりではないか。
「今、開けてみてもいいかな?」
「……どうぞ」
 浮かれきった気持ちを隠そうともせず、フェルナンドが尋ねる。ミカエラが静かに頷くと、彼は早速その包装を丁寧に解き始めた。
 中身のチョコレートは、粉微塵……とまではいかないものの、縦へ横へと亀裂が走って案の定に無残な有様だった。随分と派手にやったようだ、と思わず苦笑いを浮かべつつも、フェルナンドはそんな彼女に一層の愛おしさを感じずにはいられなかった。
 彼は割れたチョコの破片をひとつ口に含む。口に入れた瞬間の蕩けるような食感、ほどよく広がる甘さにその表情が綻んだ。
「うん、美味しい」
 ごく自然に零れた、飾らない感想。しかしこれ以上に相応しい表現も他に無いだろう。品物の良さもさることながら、彼女が自分のために用意してくれたという事実が彼にとっては何より大きな付加価値だった。

「……ねえ、フェル」
「ん?」
 フェルナンドが一口目を嚥下するのに合わせ、ミカエラがぽつりと彼を呼ぶ。彼と視線が合い、彼女はおずおずといった様子で尋ねる。
「他には、誰かから貰ったりしたの……?」
 例の件を密かに目撃していた身でこれを尋ねるのは決して褒められたやり方ではないだろう、という負い目はある。しかし現に見てしまった以上、それは今の彼女にとっては避けがたい気掛かりだった。
「……あぁ、えっと……うーん、何というか……」
 あの場面を見られていたとは知る由もない彼は、素直にあらましを説明する言葉を探す。
「この前の件のお礼で、くれるって言ってくれた子がいたんだけど……辞退、しちゃったんだ。何だか申し訳なくて」
 フェルナンドは頬を掻き、苦笑いを浮かべて答えた。次いで、彼はその相手が何者だったのか、どういった経緯でそうなったのかなどを簡単に説明する。本当に何事も無かったかのような、実にあっけらかんとした語り口だった。
「そ、そっか。そう、なんだ……」
 どこか上の空な様子でミカエラが言う。妙な安堵を感じたのは否めないが、それ以上に拍子抜けしたような気分でもあった。個人的に人助けのお礼を勧められることも、それすら遠慮してしまうことも、なるほど彼ならばさもありなんといった所だ。一人で浮き足立っていた自分が馬鹿らしく思えるほどの納得感だった。
 他方で、彼女が散漫に考えている間、フェルナンドもまた「あの時」の出来事の回想に耽り始めていた。
 
 ***
 
「……えっと……」
 眼前の少女に対し、フェルナンドは慎重に言葉を選ぶ。考えのまとまらぬまま喋り始めてしまったため、次の言葉を紡ぐまでに若干長い時間を要した。
「ありがとう。……気持ちは、受け取らせてもらうよ」
 ――気持ち「は」。彼がその表現に含めた意味は、彼女にも痛いほどに伝わった。
「もう、謝礼は貰っているんだ。これ以上は望めない。……それに」
 無難で妥当な理由を一番に挙げると共に、フェルナンドはより本心に近い部分も垣間見せる。
「前から決めてたんだ。……今年は、一人からしか貰わないって」
 たとえ建前でも、「誰からも」貰わないとは言えないのが彼の不器用なところであり、嘘が苦手な性格が如実に現れたところでもあった。
「……ごめん。その気持ちだけで嬉しいのは本当だよ」
 長考した割に全く気の利いた返答ができず、彼は申し訳なさで心の痛む思いだった。
「わかりました。……機会があれば、いつかうちの店に顔を出してください。特別にサービスさせて頂きますので」
 はにかむように少女が答える。彼もまた表情穏やかにただ一言、再び「ありがとう」と返す。――お互い、胸の痛みは笑顔の中に全て押し込んでのやり取りだった。
 
 少女は一人家路を急ぐ。――彼に贈り物を渡せるのは、どこかの国のお姫様だろうか。……はたまた、傍らで彼を援護していたあの魔法使いの人だろうか。物思いの中で、こうまで彼に想われるその相手に少々の羨ましさを感じながら。
 
 彼女の背中が見えなくなるまでを見届けると、フェルナンドは小さくひとつ息をついた。
 彼が「嘘が苦手」であることは間違いない。しかし彼はまさに今、あの少女に嘘をついてしまったことへの罪悪感に後ろ髪を引かれていた。――正確には、「事実を語る上で、事実ではないことを敢えて連想させるように仕向けた」とでも言うべきだろうか。
 一人からしか貰わない。彼は少女にそう言った。しかしその実、彼の指すその「一人」が実際にプレゼントをくれる保証などは一切無い。ただそうあってほしいという希望を元に、あたかもそれが既に決まった事実であるかのように話してしまっただけだ。
 こうまで見得を切っておいて、肝心の「相手」からは歯牙にもかけられない……というのも何とも道化じみた話である。
 ――構うものか。結末の見えない不安は意識の外へ除け、彼は決意を固くした。せめてきっぱりと振られるまでは、ちょっとした希望を持っていたい。それくらいなら許されるだろう、と。
 ……その一方で、「道化であるならその時はそれらしく、遊び人に転職して賢者の道でも志そうか」などと、現実逃避の思考にも事欠かないフェルナンドであった。

 ***

 フェルナンドとミカエラが思考の海から帰ってきたのはほぼ同時だった。ふと顔を上げた二人は互いに相手の顔を見やる。
「僕からも訊いていいかな」
「……なに?」
 彼がそう切り出し、彼女がその先を促す。続きを言ってしまってもいいものか直前まで悩んだ様子のフェルナンドだったが、遂にはその疑問を口にした。
「その……これって、いわゆる『義理チョコ』? ……それとも……」
「っ!?」
 ――話の核心を突く問いだった。ミカエラが明らかに動揺するのがわかる。
 彼とて、自意識過剰の謗りは覚悟の上での切り込みである。それでも、確かめずにはいられなかった。自分のために贈り物を用意してくれたという事実、単なる仲間への義理にしては豪華に過ぎる(と彼は思った)品物。そして何より、ひび割れていてもわかる大きなハート型――彼にしてみれば、期待するなというのも難しい話だった。
「そ、そんな事っ……、わざわざ言わせないで、フェルの馬鹿っ……!」
 フェルナンドが言い終わらないうちに、ミカエラは彼の話を遮る。――それしか無かった、などという事前に用意した言い訳は完全に頭から吹き飛んでいるようだった。
 答えの無いまま、しばしの沈黙が流れる。
「……ごめん」
 やはり言うべきではなかった――彼は一人反省する。わざわざこうしてプレゼントをくれたことに舞い上がるあまり、調子に乗りすぎてしまったと。貰った物以上の何かを期待するなど虫が良すぎたし、何より彼女への配慮に欠けていたと言うより他はない。彼は自分の軽率な発言を恥じ、せめて今からでもその話からは離れることに決めた。
「お返し、考えておくよ。何がいいとか、希望はある?」
「何がいいか……」
 話を仕切り直すようにフェルナンドが尋ねる。彼の言葉を反芻し、ミカエラは何やら考え込み始める。返答に迷っているというよりは、頭に浮かんだ内容を口にすることへの躊躇いが大きいように見えた。
 長めの間を経て、彼女は意を決した様子で口を開いた。
「じゃあ……、――してって言ったら、どうする……?」
「……。えっ……」
 思わぬ言葉が飛び出て、一瞬呆気にとられるフェルナンド。最初は自分の聞き間違いを疑った彼だが、彼女のごく真剣な表情がその説を強く否定している。
「……そういうの真に受ける方だよ、僕」
 やや婉曲に、発言を撤回するのなら今のうちだという意図を込めて彼が言う。
「真に受けてくれなきゃ困るの。私だって……本気、だから」
 それでも、彼女は彼女で一歩も退こうとしない。むしろ、強く攻め込んできているようですらあった。ミカエラが後に退けないのと同時に、フェルナンドも最早逃げることはできなくなっていた。
「そう、か……。……今、ここで?」
 彼の問いに、ミカエラは無言で頷いた。その質問が出る時点で既に彼の腹はほぼ決まっていると言ってもいいのだが、事が事であるため、彼もやや過剰に慎重にならざるを得ない。フェルナンドは改めて、この念押しを最後の最後として、彼女の意思を確認する。
「……いいの?」
 顔を真っ赤にして俯く彼女が、消え入りそうなほど小さく呟いた。
 
 ――あなたになら。
 
 ここまでくれば、もう何も躊躇う必要は無かった。
 フェルナンドはミカエラの身体を抱き寄せ、顎に手を添えてその顔を自分の方へと向けさせる。目と目が合った彼らはしばしの間見つめ合うと、ゆっくりとその距離を埋め、互いに瞳を閉じ――そのまま、唇を重ねた。
 微かに残るカカオと砂糖の風味が甘く後を引く口付けだった。
 
 
 
 
 
 
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フェルナンドはなんだかんだモテそうな気がしています(笑)。
誰にでも優しい彼に内心やきもきしつつもそんな彼だから好きなミカエラと、
さらにそんな彼女が好きなフェルナンドとか、良いと思うんです!

後日、物品的なお返しとして、「旅で役に立つから……」と大義名分を立てて
魔力の上がるリングを買う勇者の姿があったとか無かったとか?(